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元JAL客室乗務員バフェットかおるが、50代・60代からでも始められる高配当株投資をわかりやすく解説しています。

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9.11から25年|元JALのCAが見た航空会社の破綻とウォーレン・バフェットの教訓

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9.11から25年 JALで30年働いた私が見た航空会社が潰れる日 1億円への道
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2001年9月11日のアメリカ同時多発テロから25年がたちました。私は当時、JALの客室乗務員として太平洋線に乗務していました。あの日から数年間で学んだのは、想定外は必ず来るけれど、想定外に耐えられる会社かどうかは決算に書いてあるということです。この記事では、9.11で世界のお金と航空会社に何が起きたのか、JALの機内で私が見たこと、そして同じ日にウォーレン・バフェットがどう動いたかを振り返り、50代の私が決めた「想定外でも資産を守る5つのルール」をまとめます。

※本記事は私個人の経験と考えの記録であり、特定の会社の売買を推奨するものではありません。私は投資助言・代理業の登録を受けていません。投資の判断はご自身の責任でお願いいたします。数字は2026年10月時点で確認できた公表資料にもとづきます。

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9.11の日に起きたこと|25年前を時系列で振り返る

時刻はアメリカ東部時間です。日本は13時間進んでいるので、日本では9月11日の夜から12日の未明にかけての出来事でした。

  • 朝8時前後、ボストン・ワシントン・ニューアークから西海岸行きの旅客機4機が離陸(アメリカン航空11便・77便、ユナイテッド航空175便・93便)。長距離便なので燃料は満載でした。
  • 8時46分、アメリカン11便が世界貿易センター北棟に激突。9時03分、ユナイテッド175便が南棟に激突し、世界中が「事故ではなくテロだ」と理解しました。
  • 9時37分、アメリカン77便が国防総省(ペンタゴン)に激突。
  • このあと米当局は全米の空を閉鎖し、飛行中のすべての機に着陸を命じました。
  • 10時03分ごろ、ユナイテッド93便がペンシルベニア州に墜落。乗客が立ち向かい、標的には届きませんでした。
  • 南棟・北棟が相次いで崩壊。ニューヨーク証券取引所は9月17日まで取引を停止しました。

亡くなった方は約3,000人、そのうち日本人は24人でした。4機には乗員もいました。私と同じ仕事をしていた客室乗務員が、機内から地上に状況を伝え続けていたことは、今も忘れられません。

9.11で株価はどうなったか|日経平均は翌日682円安で1万円割れ

アメリカの市場が閉まっている間、先に値段をつけたのは日本でした。翌9月12日の日経平均は前日比682円安の9,610円で、1万円を割り込みました。

ニューヨーク市場が再開した9月17日、ダウ平均は1日で684ドル下がり、その週の下落率は約14%に達しました。下がったのは航空・旅行・ホテル・保険。一方で防衛や医薬などは相対的に強く、同じ出来事でも、会社によって受ける傷がまったく違うことがはっきり表れました。

もともと2001年はITバブル崩壊で景気が冷え込んでいた時期で、テロはそこに追い打ちをかけました。ただ、株価指数そのものは数か月でテロ前の水準に戻っています。長く傷が残ったのは「指数」ではなく、「深く傷ついた会社」のほうでした。

航空会社に何が起きたか|スイス航空・サベナが消えた

9.11のあと、世界の航空会社は一気に追い込まれました。

  • 2001年10月、スイス航空が資金繰りに行き詰まり、全機が地上に止まりました。
  • 2001年11月、ベルギーのサベナ航空が破産しました。
  • 2002年12月、ユナイテッド航空が連邦破産法11条を申請。2005年にはデルタ航空とノースウエスト航空も同じ申請をしました。

アメリカ政府はテロから約10日後に、現金50億ドルと融資保証100億ドルの支援を決めました。それでも、潰れる会社は潰れました。「国を代表する会社だから大丈夫」は通用しなかったのです。

アメリカでは航空会社の働き手も大きな代償を払いました。人員削減、給料や年金の切り下げ。破綻のツケは株主だけでなく、従業員にも回ってきます。私はこれを他人事として書くことができません。

元JAL客室乗務員の私が機内で見た9.11後の空

ここからは私の体験です。

テロの直後、アメリカ便の機内は本当にがらがらでした。400席近いジャンボ機に、お客様が数十人。乗務員のほうがお客様より多い日もありました。「もう飛びたくない」と辞めていった同僚もいました。私は残りました。会社からは休職の募集がかかり、ボーナスもなくなりました。

一番つらかったのは、テロそのものよりも、そのあとの数年間でした。アメリカ便のセキュリティは劇的に厳しくなり、長いフライトのあとに入国審査と税関で何時間も立ち続けることが当たり前になりました。不審物や警報で空港が止まることも頻繁でした。乗務員もお客様と同じ検査を受け、靴を脱ぎ、液体を手放します。「私たちも疑われる側になった」という感覚が、正直つらかったです。

コックピットが「最後の砦」になった日

私にとって一番大きく変わったのはコックピットです。9.11の前、JALのコックピットは開かれた場所でした。お子さまの見学もあり、ドアは離陸の直前まで開いていて、私たち客室乗務員が閉めていました。

9.11のあと、それが一斉に変わりました。見学はなくなり、入室の方法が変わり、ドアは常に施錠。マニュアルも書き換えられました。ある日を境に、コックピットは「自由な場所」から「最後の砦」になったのです。

テロから2か月後の2001年11月には、JALと日本エアシステム(JAS)が経営統合で基本合意しました。テロが統合の原因ではありませんが、傷ついた会社どうしが一緒になって生き残ろうとした時期だったことは、私の記憶に強く残っています。

9.11から2010年のJAL破綻へ|想定外が重なったとき

JALは2010年1月に会社更生法の適用を申請し、経営破綻しました。9.11から約9年後です。9.11が直接の原因ではありません。ただ、あとから振り返ると、こう見えます。

  • 2001年:9.11で国際線のお客様が激減し、体力を削られた
  • 2002年:JASとの統合で、路線・機材・人員が膨らんだ
  • 2003年:SARSでアジア路線のお客様が減った
  • 2008年:原油高で燃料費が急増し、秋にはリーマン・ショックで出張需要が消えた
  • 2010年1月:経営破綻

9.11、SARS、原油高、リーマン・ショック。どれも「想定外」です。けれど、同じ嵐を受けても潰れなかった会社はありました。違いは嵐の大きさではなく、嵐に耐えられる体(コストの重さ、借金の少なさ、決める速さ)を持っていたかどうかだったと私は考えています。

航空会社は、固定費が大きく(飛行機・人・燃料)、需要を自分で作れず(景気・テロ・感染症で一晩で消える)、借金も多い業種です。私はこの会社で長く働き、お給料をいただいたことに感謝しています。それでも、「勤め先として良い会社」と「株主として安心できる会社」は別なのだと、身をもって知りました。

同じ日、ウォーレン・バフェットは何をしたか

9.11で損をしたのは航空会社だけではありません。ウォーレン・バフェットが率いるバークシャー・ハサウェイは、世界有数の再保険の会社を傘下に持っています。ビルが崩れ、飛行機が落ち、保険金が支払われる。その最後の支払い手のひとつがバークシャーでした。グループの再保険会社ジェネラル・リーだけで、損失は約24億ドルにのぼったと報じられています。

ウォーレン・バフェットはその年の株主への手紙で、テロのような大惨事が起こりうることは考えていたのに、その危険を保険料に十分織り込んでいなかったと、自分の失敗として認めています。「雨を予想するだけでは足りない。箱舟を作ってこそ意味がある」という趣旨の言葉は、今も私の心に残っています。

もうひとつ印象に残っている話があります。ウォーレン・バフェットは長年、航空会社は投資先として難しい商売だと語っていました。それでも2016年にアメリカの大手航空会社に投資し、2020年、コロナで航空需要が消えたときに全部手放しました。株主総会では、自分の判断が間違っていたと認めています。

私はこれを「ウォーレン・バフェットでも失敗する」という話ではなく、「想定外が来て前提が崩れたら、認めて直す」という話だと受け取っています。基本のやり方は変えない。でも、間違いはすぐに認める。この二つを同時にできることが、大切な資産を守る力なのだと思います。

想定外でも資産を守る投資|50代の私が決めた5つのルール

JALで働き、破綻を内側で見て、48歳から投資を始め、ウォーレン・バフェットのやり方を真似しながらたどり着いた考えを5つにまとめます。「こうするのが正しい」ではなく、「私はこう決めた」という記録です。

1. 想定外は必ず来る。だから相場を当てようとしない

9.11も、SARSも、リーマン・ショックも、コロナも、誰の予定表にも書いてありませんでした。私は相場を当てることをやめました。当てられないものを当てようとすると、想定外が来たときに一番傷つくのは自分だからです。

2. 1つの会社に賭けない

私は1社あたり資産全体の3%までと決めています。スイス航空もサベナも、その国の誇りでした。それでも消えました。「JALは潰れない」と、社員だった私も思っていました。だから、どんなに好きな会社でも上限を決めています。

3. 嵐に耐えられる体の会社を選ぶ

自己資本比率、流動比率、そして本業の稼ぐ力が落ちていないか。想定外は防げませんが、耐えられる会社かどうかは決算に書いてあります。会社は数字を出しています。読むかどうかは、私たち次第です。

4. 景気に敏感な会社と、そうでない会社を組み合わせる

航空会社のように、良いときは大きく稼ぎ、悪いときは真っ先に傷つく会社だけを持っていたら、私の老後は想定外のたびに揺さぶられます。私は景気に敏感な会社とディフェンシブな会社を組み合わせ、むしろディフェンシブを多めにして、暴落のときにも配当が入ってくるようにしています。

5. 種銭は労働、成長は企業、老後は配当

9.11のあと、私は辞めずに飛び続けました。給料は減っても、働いていたから種銭ができました。その種銭を、私より上手に稼ぐ会社に預けて育ててもらう。そして老後は、その会社が払ってくれる配当で暮らす。想定外が来ても、売らずに暮らせる。これが私の「守り」です。

まとめ|25年前の空から学んだ「備え」

  • 9.11の翌日、日経平均は682円安で1万円を割り込み、航空・旅行・保険の会社が最も深く傷ついた
  • スイス航空やサベナのように、国を代表する航空会社でも消えた
  • JALは9.11、SARS、原油高、リーマン・ショックと想定外が重なり、2010年に経営破綻した
  • ウォーレン・バフェットは損失を自分の失敗として認め、基本は変えずに、間違いは認めて直した
  • 私は「当てない・賭けない・決算を読む・組み合わせる・配当で暮らす」の5つを守っている

25年前に亡くなった約3,000人の方々、24人の日本人の方々、そして乗員の方々に、静かに手を合わせます。私の職場だった飛行機が、二度とあのように使われないことを願っています。

つらい思い出の多い数年間でしたが、あの日々が教えてくれたのは「想定外は来る。それでも生きていける備えをしておくこと」でした。それは飛行機の仕事でも、投資でも、老後でも同じだと感じています。

※繰り返しになりますが、本記事は私個人の経験と考えの記録であり、特定の会社の売買を推奨するものではありません。投資の判断はご自身の責任でお願いいたします。

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