日航123便墜落事故の真相解明について
前回に引き続き、今回は「日航123便墜落事故の真相解明」中編をお送りします。
この記事では以下を説明します。
【結論】
日航123便墜落事故の原因は、「ボーイング747型機の構造的欠陥」と「整備や検査体制の不備」によるものだということを明らかにしています。特に、過去の尻もち事故による機体ダメージが適切に修理・検査されていなかった可能性があり、そこから発生した問題が墜落の引き金になったとしています。
- ボーイング747型機の設計ミス
フェールセーフ構造が不完全で、内部からの圧力に脆弱だった。 - 日本航空(JAL)の利益優先体質
整備の簡略化や点検の甘さが安全を軽視していた。 - 運輸省・アメリカ連邦航空局(FAA)の監督不備
検査体制の不備と記録の欠如が事故リスクを高めた。 - 過去の尻もち事故が引き金になった可能性
機体修理が不完全で、亀裂が進行していた恐れがある。
JAL123隠されてきた事故原因
赤旗評論特集版より
1985年9月2日号(2〜6ページ)
「日航機事故 コスト優先主義が招いた惨劇」(伊藤昭雄)
大阪国際空港での「尻もち着陸事故」
- 事故を起こしたジャンボ機は、1978年6月2日、大阪国際空港で尻もち着陸を起こしています。
- 機体後部には、幅1メートル、長さ17.4メートルにわたる損傷跡が残りました。
- この修理はボーイング社が委託されて全て行いました。
運輸省の対応
- 運輸省の大島技術部長は「広範囲で損傷を受けた部分を修復した」と説明。
- しかし、垂直尾翼と胴体上部の構造は交換されていないとしています。
- また、「検査はした」とするものの、「記録がないので確認できない」としています。
JA8119機の「尻もち着陸事故」
1978年6月2日、大阪国際空港(伊丹空港)で発生した「尻もち着陸事故」は、のちの123便墜落事故と深い関係があるとされています。この尻もち事故によるダメージと、その後の修理・検査体制について、公式発表や国会答弁を踏まえて時系列で解説します。
事故の概要
- 発生日時:1978年(昭和53年)6月2日
- 場所:大阪国際空港(伊丹空港)
- 事故内容:着陸時、機首上げ操作が不十分で、機体後部が滑走路に接触(尻もち着陸)。
- 損傷部位:
- 胴体後部の下側に、幅1メートル、長さ17.4メートルにわたる擦過痕と損傷が発生。
- 圧力隔壁や胴体フレームの損傷が疑われた。
修理の流れと実施主体
応急措置
- 場所:事故現場である大阪国際空港
- 内容:仮復旧(応急処置)を実施。
- 目的:安全を確保して羽田空港までのフェリーフライトを可能にするため。
- 実施者:日本航空の現地スタッフとボーイング社の技術指導のもと行われた可能性が高いとされていますが、実際は誰が行って誰が確認したかは記録されていません。
本格修理
- 場所:羽田空港
- 実施者:ボーイング社の技術者が来日し、修理を主導。
- 当時の運輸省運輸委員会での発言によると、
「ボーイング社が直接修理を担当し、全面的な修復を行った」とされています。
- 当時の運輸省運輸委員会での発言によると、
- 修理方法:
- 損傷箇所は、製造時と同様の「ブロック構造」に基づき、該当部位を広範囲にわたって新品と交換。
- 胴体下部の外板やフレームの取り替えが行われた。
- しかし、「圧力隔壁の上部」「垂直尾翼の付け根」など、後の事故に関わる可能性のある部分については、詳細な修理・交換の記録が存在しないか、不明瞭となっている。
- 整備ログブック(修理記録):
- 修理内容は、航空法に基づく「修理改造検査記録(ログブック)」に記載されたとされていますが、国会質疑では「該当箇所の詳細な検査記録が残っていない」との報告があります。
- 記録が曖昧であることが問題視されています。
検査と運航再開までの流れ
修理改造検査
- 検査機関:運輸省航空局(現・国土交通省航空局)
- 検査時期:1978年7月
- 検査方法:
- 航空法に基づく「修理改造検査」を実施し、機体が安全であると判断。
- 形式的には問題がなかったとされ、運航再開が許可された。
運航再開
- 日付:1978年7月12日
- 許可:運輸省航空局が「対空証明」を再発行し、運航を正式に再開。
問題と疑念
記録の曖昧さ
- 国会質疑では「垂直尾翼や圧力隔壁の上部に関する修理記録・検査記録が不十分」と指摘されました。
- 特に、問題の「圧力隔壁」は、修理で下半分のみ交換され、上半分には「残留応力」や「金属疲労」が残った可能性があるとされています。
検査の形式化
- 実質的にボーイング社の自己申告に依存しており、運輸省側のチェックが形式的だった可能性が高いと見られています。
- 実際に、運輸省技術部長が「細部まで確認できない」「記録がない」と認めた発言があります。
出典
- 第102回国会 参議院運輸委員会 議事録(1985年8月16日)
- 瀬谷秀幸議員・矢原秀夫議員・運輸省大島志郎技術部長などによるやり取り
- ボーイング社および日本航空の公式コメント(事故後報告)
- 赤旗評論特集版(1985年9月2日号)
- 「日航機事故 コスト優先主義が招いた惨劇」(伊藤昭雄)
- 事故調査報告書(日本運輸省航空事故調査委員会)
- 尻もち事故の概要とその後の整備対応に関する記録
国会での追及
第102回国会・参議院運輸委員会(昭和60年8月16日)
瀬谷秀幸議員の指摘
- JA8119機には前歴がある(大阪空港での尻もち事故)。
- この事故と今回の墜落事故の関連性、また修理と検査が適切に行われたかを質疑。
大島志郎技術部長の回答
- 「修理は羽田空港でボーイング社に委託し、広範囲に構造検査を行った」と説明。
- ただし、垂直尾翼や胴体上部については、詳細な記録が残っていないことを認めました。
航空専門家の見解
- 尻もち事故による衝撃は大きく、胴体上部にも歪みが生じている可能性は否定できない。
- にもかかわらず、運輸省は修理箇所以外の検査をほとんどしていなかったという指摘もあります。
「垂直尾翼」の構造的欠陥
垂直尾翼の構造と問題点
- ジャンボ機の垂直尾翼内部は、20枚の横板が約60センチ間隔で取り付けられた箱型構造。
- 横板は外板に直接止められておらず、補強材にリベットで接続。この方法は製造工程の簡略化とコスト削減を狙ったものでした。
- この構造が、内部からの力に対して脆弱な作りとなっていたのです。
結果
- 垂直尾翼が破壊されたことで、4系統ある油圧パイプが同時に損傷し、操縦不能に陥る事態に。
- ボーイング747型機が誇った「フェールセーフ構造」は、実際には機能していなかったことが明らかになりました。
ボーイング社の回答と設計ミスの認識
ボーイング社は取材を拒んでいましたが、最終的にビデオによる回答を提供。
ジャンボ機の生みの親・サタ副社長が登場し、
「機体後部の設計改善を検討している」と述べました。
しかし、圧力隔壁が大きく破壊された場合のフェールセーフについては明言を避けました。
審査基準の問題
- 当時のアメリカ連邦航空局(FAA)の審査基準には、圧力隔壁が破壊された場合の対策規定がなかった。
- 対策の有無は、メーカーとFAA検査官の判断に委ねられていました。
ジャンボ機SR型の設計と運用の問題
SR型の特徴
- 日本国内向けの短距離型SR機は、離着陸回数がLR型の約3倍。
- より多くの余圧サイクルに晒され、金属疲労のリスクが高かった。
メーカーと使用者の責任
- ボーイング社は、圧力構造への手当をせず、客室内の差圧を下げる対応のみ。
- 日本航空は、快適性を優先し、最大差圧で運航を続けた結果、SR型機の疲労が進行。
- 「メーカーの手抜きと使用者の責任転嫁」と指摘されています。
つまり今回明らかになったことは、以下の通りです。
- ボーイング747型機は、コスト削減のため構造的に脆弱な設計が採用されていた。
- 123便(JA8119)は、尻もち事故で圧力隔壁の上半分が交換されず、亀裂が進行していた可能性がある。
- 垂直尾翼の構造的欠陥と、整備・検査体制の不備が事故の要因となった。
- アメリカ連邦航空局、日本の運輸省航空局、日本航空、ボーイング社、それぞれの責任が問われる事故であった。
次回予告
次回は、これらを裏付ける「整備士」「スチュワーデス」の証言、
さらに「垂直尾翼破壊のメカニズム」に迫ります。
事故原因解明【後編】をお待ちください。
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