「都市伝説」では終わらせない、JAL123便墜落事故を元CAが公式記録と証言で解説。公式記録と証言から見えた原因とは。

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JAL123便墜落事故 ― 「本当の原因」とは

結論

  • ジャンボ機(747型機)の「安全神話」
    日本用に開発されたSR型機に「設計ミス」が存在し、構造的な欠陥があったことを明らかにしました。
  • 中曽根内閣と日本航空の関係
    事故の2年前から、中曽根内閣は日本航空に対し、整備部門の人員削減を含む「安全軽視の利益追求体質」を強要。
    その結果、整備部門は機材の詳細な点検を十分に行えなくなっていました。
  • 運輸省航空局の問題
    日本の航空会社を監督する運輸省航空局では、検査官の数が圧倒的に不足。
    海外輸入機の製造過程についての検査も行われていませんでした。

つまり、事故が起こる条件はすでに揃っていたと言えます。そしてこれらが原因で事故が発生したにもかかわらず、ボーイング社と日本航空はその要因を公表せず、隠していたのです。

「垂直尾翼は内部から破壊されたのではない」説

事故当時、わたなべけんたろうさんは、次の説を信じていました。

「123便の垂直尾翼は、内部から破壊されたのではなく、外部から飛翔体が衝突し、破壊されたのではないか?」

この説の根拠とされているのは、以下の事実です。

  • 圧力隔壁が破壊され、垂直尾翼が吹き飛んでいたのであれば、機内は急減圧状態になり、乗員・乗客は気圧の異常を感じていたはず。
  • しかし、生存者の証言には「急減圧」を示す決定的なものはなかった。
  • コックピット内でも、機長・副操縦士は酸素マスクを着用せずに意識を保ち続けており、急減圧時に必要な緊急降下も行われていなかった。

これらから、当初は「外部からの飛翔体による破壊」という説が一部で支持されました。
しかしながら、飛翔体衝突説を裏付ける確たる証拠(レーダー記録や目撃証言など)は存在せず、あくまでも書籍や都市伝説レベルに留まっています。
国交省や事故調査委員会も再調査を行うには至らず、信憑性の高い結論とは認められていません。

 調査の結果見えてきた「構造的な問題」

飛翔体説を離れ、さらに調査を進めた結果、明らかになってきた事実があります。

見えてきた3つの大きな要因

  1. ボーイングによる設計ミス
    – 特にジャンボ機SR型は短距離用に設計され、飛行回数が増えることで金属疲労が発生しやすい構造だった。
    – 垂直尾翼や圧力隔壁の強度不足が事故後の実験によって示されている。
    – ボーイング自身が設計改善通報を出し、NTSB(米国家運輸安全委員会)も垂直尾翼の設計変更を勧告している。
  2. 日本航空の運用と整備体制の問題
    – 安全よりも利益優先の経営方針が強まり、整備の簡略化や部品在庫の削減が進行。
    – 結果として、金属疲労による亀裂などの異常を早期に発見できなかった。
    – 実際、事故機以外のジャンボ機SR型にも多くの亀裂が見つかっている。
  3. 検査・監査体制の不備と人員不足
    – 検査官はたった42人で国内2031機を担当していた。
    – 1人あたり約48機の機体を担当し、詳細なチェックはほぼ不可能だった。
    – 輸入機は「現状確認のみ」で対空証明が発行され、設計や製造過程をチェックする体制がなかった。

「安全より利益を優先」したJALの経営体質への転換

臨庁発足から事故発生までの政策と影響

1981年から1985年にかけて、日本航空(JAL)は国家管理から民間競争の市場原理へと急速に移行しました。

  • 1981年「日航法改正」により政府の管理が後退し、企業の「自己責任」に。
  • 民営化推進と効率経営が求められ、「利益至上主義」が鮮明に。
  • 整備部門では人員削減と合理化が行われ、整備リソースや安全投資が削られた。

 事故を生む「土壌」が整っていた

この政策転換によって、JALは利益を最大化するために安全よりもコストカットを優先。
安全文化が崩れ、整備の簡略化、リスクの高い運航が常態化していたと考えられます。

 柳田邦男氏による「安全神話」の崩壊の指摘

ジャーナリスト柳田邦男氏は、事故後、JALと国の責任を厳しく追及しました。

  • 「ジャンボ機の安全神話は虚構だった」とし、ボーイング747型機の設計ミスや構造的問題を掘り下げた。
  • 国の航空行政の責任、特に民営化政策による安全軽視を指摘し、「事故は防げたはず」と断言。
  • さらに、「企業体質そのものが安全を軽視していた」と警鐘を鳴らしました。

これにより、JALはブランドイメージを大きく失墜し、信頼回復には長い時間を要することになりました。

 「人員不足」と「監査機能の形骸化」が事故を招いた

事故当時、航空機の安全を監督する検査官は42人しかいませんでした。

  • 日本国内で2031機の航空機が運航されており、1人あたり48機の負担。
  • 現物確認が当たり前だった時代において、この負担は現実的に不可能。
  • 実質的に「書類チェック」や「形式的な確認」に終始し、安全管理は機能不全に陥っていました。

現代の基準と比べた異常性

  • 現在(2020年代)は「安全管理システム(SMS)」を導入し、航空会社ごとにチームで監査を実施。
  • 大規模エアラインの場合、1社あたり5人〜15人の監査チームで安全をチェック。
  • ITとAIを活用した監視やデータ分析も進んでおり、「人手不足」を補う体制が整っている。
    1985年の日本の検査体制は、そのどれもが整備されていませんでした。
具体例で考えると…
  • 重症患者2000人に対し医師が42人の病院。
  • 2031台の車を42人の整備士で車検するようなもの。
    ➡️ 見逃し、ミス、手抜きが発生してもおかしくない環境だったのです。

 JAL123便事故 ― 本質は「構造的な安全管理の崩壊」

事故の本質は、単なる「修理ミス」や「不可抗力」ではありません。

  • 国家主導から民間競争への急激な転換
  • 利益追求が最優先された企業体質
  • 整備や検査にかける人手と予算の削減
    これらが複合的に作用し、「起こるべくして起こった事故」と見ることができます。

最後に

JAL123便の墜落は、「安全を守るためのシステムと文化」が崩壊した結果、引き起こされた事故かもしれません。
検査官の人員不足や整備簡略化がそれを象徴しており、「人手が足りない」という単純な問題を超えて、組織の安全文化が崩れていたことが、最大の教訓であると言えるでしょう。

明日はさらに掘り下げて、以下のテーマについて解説します。

✅ 日本航空の整備状況
✅ 事故を起こした747型機の構造的欠陥と設計ミス
✅ フェールセーフ機構の落とし穴
✅ 圧力隔壁の修理ミスの真相について

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