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雫石事故の訓練生パイロットはその後どうなったのか|裁判の記録と、162名の命

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1971年7月30日、岩手県雫石町の上空で全日空58便と航空自衛隊のF-86Fが衝突し、162名の方が亡くなりました。

「あの訓練生は、その後どうなったのか」——この記事にたどり着く方が、いちばん知りたいのはそこだと思います。

先に答えを書きます。訓練生は、無罪になりました。ただしそこにたどり着くまでに、事故から7年近くかかっています。

私は日本航空で約30年、国際線の客室乗務員をしていました。ここでは、公表されている裁判の記録に沿って書きます。

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1971年7月30日、何が起きたのか

  • 全日空58便(ボーイング727-281)と、航空自衛隊のF-86F戦闘機が空中で衝突
  • 亡くなった方は162名(乗客155名・乗員7名)
  • F-86Fに乗っていたのは、訓練生(当時22歳・2等空曹)と教官(当時31歳・1等空尉)の2機編隊

訓練生と教官は編隊で訓練中でした。教官の指示で訓練生が機体を反転させた直後に、全日空機と衝突しています。周囲の安全を確かめたうえで指示を出すべきところが、そうなっていなかったと指摘されました。

当時は、自衛隊の訓練空域と民間機の航路を分ける仕組みも、それを見張るレーダーの態勢も、まだ十分ではありませんでした。

訓練生はその後どうなったのか

事故のあと、訓練生は逮捕され、業務上過失致死と航空法違反で起訴されました。22歳でした。

判決
一審(盛岡地方裁判所・1975年3月11日) 禁錮2年8か月の実刑
控訴審(仙台高等裁判所・1978年5月9日) 無罪

一審では実刑判決でした。それがくつがえって無罪になったのは、事故から6年10か月後のことです。22歳だった人が、29歳になっていました。

その後の暮らしについては、公にされている記録がありません。ですので、私はここから先は書きません。

教官はその後どうなったのか

判決
一審(盛岡地方裁判所・1975年3月11日) 禁錮4年の実刑
控訴審(仙台高等裁判所・1978年5月9日) 控訴棄却
上告審(最高裁判所・1983年9月22日) 禁錮3年・執行猶予3年に減刑

最高裁の判断が出たのは、事故から12年後でした。自衛隊法により失職し、2005年8月に亡くなっています。

責任を取って辞任したのは、増原惠吉防衛庁長官です

ここは、よく取り違えられているところです。

事故当時の防衛庁長官は増原惠吉(ますはら けいきち)さんで、事故の責任を取って辞任されました。

中曽根康弘さんの名前が挙がることがありますが、中曽根さんが防衛庁長官を退いたのは事故の25日前、1971年7月5日です。事故のときの長官ではありません。

この事故が変えたこと

時期 できごと
1971年8月7日 政府の中央交通安全対策会議が「航空安全緊急対策要綱」を発表
1975年6月24日 改正航空法が参議院で可決・成立
1975年10月 改正航空法が施行。管制空域での曲技飛行・訓練飛行の禁止、トランスポンダとフライトレコーダーの装着義務化など
1991年6月 航空路監視レーダー(ARSR)17基によるレーダー管制システムが完成

いま当たり前になっている決まりの多くが、この事故のあとに作られました。

元客室乗務員として、思うこと

162名の方が亡くなりました。その重さは、誰か一人が背負いきれるものではありません。

それでも当時は、まず人を裁くことに向かいました。仕組みが足りていなかったことと、その場にいた人の判断と。そのどちらを見るのかで、事故のあとに何が残るかは変わってきます。

私が乗務していたころには、雫石のあとにできたルールが、すでに当たり前のものとしてそこにありました。それを当たり前と思わずにいたいと、いまは思います。

まとめ

  • 訓練生は一審で禁錮2年8か月の実刑。1978年5月9日、仙台高裁で無罪となりました
  • 教官は一審で禁錮4年の実刑。1983年9月22日、最高裁で禁錮3年・執行猶予3年に減刑され、2005年8月に亡くなりました
  • 事故の責任を取って辞任したのは、増原惠吉防衛庁長官です(中曽根康弘氏は事故の25日前に退任)
  • この事故のあと、1975年の改正航空法などで空の決まりが大きく変わりました

※本記事は公表されている資料にもとづいて書いています。お亡くなりになった162名の方のご冥福をお祈りいたします。


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50代から始めても、60代、70代で「あの時始めてよかった」と思える日が来ると、私は思っています。私は、買ったら売らないと決めました。配当金を信じて持ち続ける、というやり方です。

私はYouTubeもやっています。毎日夜9時からライブ配信をしていますので、よろしければ遊びに来てください。チャンネル登録はこちらから → バフェットかおるチャンネル

⚠️ 【投資免責事項】
当ブログで紹介している投資情報はあくまでも参考情報であり、特定の銘柄・投資商品の購入・売却を推奨するものではありません。投資にはリスクが伴います。投資はご自身の判断と責任のもとで行ってください。

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