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1985年8月12日、日本航空123便が墜落した日の運輸大臣は、山下徳夫さんでした。在任は1984年11月1日から1985年12月28日までで、事故はその在任中に起きています。大臣を退いたのは事故の引責ではなく、同じ日に行われた内閣改造にともなうものでした。この記事では、公表されている公職の記録と、事故について国の側で公表されていることだけを書きます。私は日本航空で国際線の客室乗務員をしていましたが、在職中に社内で知った事柄は書きません。調べても出どころを確かめられなかった話も、書かずに残しておきます。
筆者は金融商品取引業(投資助言・代理業)の登録を受けておらず、個別の銘柄や特定の金融商品、特定の証券会社の利用を推奨するものではありません。本記事は2026年10月時点のものです。
結論:事故当時の運輸大臣は山下徳夫さんでした
日本航空123便の事故が起きたのは1985年(昭和60年)8月12日です。この日に航空行政を所管していたのは運輸省で、その大臣は山下徳夫さんでした。
「事故の責任をとって辞めた大臣」と記憶されていることがありますが、公表されている在任期間を見るかぎり、そうではありません。山下さんが大臣を退いたのは1985年12月28日で、これは同じ日に行われた内閣改造にともなうものです。事故から4か月以上たっています。
山下徳夫さんの公職の記録
公表されている経歴のうち、この記事に関係する部分だけを並べます。
| 項目 | 記録 |
|---|---|
| 生年 | 1919年10月7日 |
| 運輸大臣 | 1984年11月1日〜1985年12月28日 |
| 内閣官房長官 | 1989年8月10日就任、16日で辞任 |
| 政界引退 | 2000年 |
| 逝去 | 2014年1月1日 |
123便の事故は、このうち運輸大臣の在任中に起きています。
事故の原因として公表されていること
この事故の原因について、私が基準にしているのは運輸省航空事故調査委員会の事故調査報告書です。1987年(昭和62年)6月に公表されました。
報告書は、1978年(昭和53年)に大阪国際空港で起きたしりもち事故で損傷した機体後部の圧力隔壁について、その修理が適切でなかったことを原因と推定しています。修理した部分に疲労亀裂が生じ、点検で見つからないまま進んで強度が下がり、客室の与圧に耐えられなくなって隔壁が壊れた、という経過です。その結果として垂直尾翼と油圧の操縦系統が損壊し、主操縦機能が失われたとされています。
この報告書を作成したのは運輸省の航空事故調査委員会で、その後、国の事故調査を担う組織は運輸安全委員会に引き継がれています。報告書の解説資料は運輸安全委員会が公開しています。
刑事責任はどうなったか
群馬県警は、業務上過失致死傷の疑いで、ボーイング社・日本航空・運輸省の関係者あわせて20人を書類送検しました。結果は全員不起訴です。1990年には東京高裁が遺族の不服申立てを退け、業務上過失致死傷罪の時効が成立しました。
つまり、刑事の場で個人の責任が確定したわけではありません。大臣も含めて、公職にあった人が刑事責任を問われた記録はありません。
大臣を退いた時期と、その理由
くり返しになりますが、山下さんが運輸大臣を退いたのは1985年12月28日で、同日の内閣改造にともなうものです。事故の引責辞任ではありません。
事故のあと大臣としてどう動いたかについて、私が一次資料で確かめられたのは在任期間だけでした。個々の判断や発言について確かめられた記録がないので、ここでは推測を書きません。
1989年、官房長官を16日で退いています
「山下徳夫」と調べると、1989年の出来事が一緒に出てくることがあります。山下さんは1989年8月10日に内閣官房長官に就任し、16日で辞任しました。これは公表されている在任記録です。
辞任の経緯については当時さまざまな報道がありました。ただ、それは公職としての行為の記録ではありませんし、私が真偽を確かめられる立場でもありません。この記事では在任記録だけを書きます。
私が書かないことにしたこと
この記事を書くにあたって、調べたけれど書かないと決めたことが二つあります。
ひとつは、事故当日に大臣が同じ機体に乗っていたという話です。よく語られる話ですが、公的な記録で確かめられませんでした。確かめられないものは書かないことにしています。
もうひとつは、公職にある人の私生活にかかわる話です。公職にある人の、その職としての行いは記録され、あとから検証されます。それは必要なことだと思います。いっぽうで、名前が出る人のまわりにいる人たちは、公職にあるわけではありません。説明する場も、反論する場も持っていません。ニュースが過ぎたあとも、職場に残るのはその人です。だからこの記事には、公表されている公職の記録しか書きませんでした。
この事故のあと、調査のしくみは変わりました
123便の事故の調査は、運輸省の中に置かれた航空事故調査委員会が行いました。その後、国の運輸事故調査は常設の運輸安全委員会に引き継がれ、報告書や解説資料が公開される形になっています。私たちが40年前の報告書を今も読めるのは、この公開のしくみがあるからです。
まとめ
- 1985年8月12日の日本航空123便の事故当時、運輸大臣は山下徳夫さんでした(在任1984年11月1日〜1985年12月28日)
- 大臣を退いたのは1985年12月28日の内閣改造にともなうもので、事故の引責辞任ではありません
- 事故原因は、1987年6月に公表された運輸省航空事故調査委員会の報告書が、後部圧力隔壁の修理が適切でなかったことと推定しています
- 刑事では関係者20人が書類送検され、全員不起訴。1990年に時効が成立しました
- 1989年8月、内閣官房長官に就任し16日で辞任しています
この記事は、公表されている公職の記録と、国が公開している事故調査報告書にもとづいて書いています。確かめられなかったことは書いていません。
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