自業自得、病気、底辺……いい妻、いい母、いい娘を手放す「他人の目より、自分の心。」自分の人生の手綱を絶対に離さない。

堅実投資法
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① 「落ちていくことが悪でもなく、上がっていくことが善でもない」

(成田悠輔)

学校では「テストの点数が上がればいいこと(善)」「成績が落ちれば悪いこと(悪)」と教わることが多いです。でも、「人生をただの階段だと思わなくていい」

「出世して有名になる(上がる)」ことだけが幸せとは限らないし、「今の場所から離れる(落ちる)」ことで新しい景色が見えることもあります。

勝った、負けた、上がった、下がったという世の中の「ものさし」に振り回されすぎず、自分らしくいれば大丈夫 肩の力を抜こう


② 「明日やろうはバカやろう」

「今日は面倒だから明日やろう」と先延ばしにする人は、明日になってもまた同じことを言います。結局、いつまで経ってもやらないまま、チャンスを逃してしまう

「今この瞬間」を大切にできない人は、結局何も成し遂げられない。「やりたい!」「やらなきゃ!」と思ったその時が、一番のタイミング

③ 「チャンスの神様は前髪しかない」

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(ギリシャ神話・カイロスの言葉)

「チャンス」という名前の神様を想像してみてください。その神様は、前から走ってくるときは長い前髪が垂れていますが、後ろ頭はツルツルにハゲているんです。

神様(チャンス)が自分に向かって走ってきたとき、**「あ、チャンスだ!」と思ってすぐに手を伸ばして前髪を掴まないといけません。**一度通り過ぎてしまった後で、「あ!さっきのチャンスを捕まえなきゃ!」と後ろから追いかけて手を伸ばしても、後ろ頭には掴む髪の毛がないので、もう二度と捕まえられないのです。

チャンスが来た瞬間に迷わず行動する準備をしておこう、という意味です。


④ 「どう思われたいかで生きるのではなく、どうありたいかで生きる」

周りの人から「頭がいいと思われたい」「カッコいいと思われたい」と、他人の目を気にして行動すること。これは、他人の評価に振り回されるので、ずっと心が疲れてしまいます。

「自分は優しい人でありたい」「嘘をつかない自分でありたい」と、自分の心に正直に生きること。

他人があなたをどう評価するかは、あなたにはコントロールできません。でも、自分がどんな人間でいたいかは自分で決められます。「他人の目」というニセモノの満足ではなく、「自分の心」が納得できる生き方をしようという教えです。

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私は「可哀想」じゃない

誰よりも**「自分の人生の手綱を、自分の手で握りしめている人」*になりたい

「病気なんて可哀想」「これまでの不摂生の自業自得」

過去と今の生活習慣は大きく反省中。

でも過去の自分を呪って生きたくない。

1. 一般的な「幸せ」が、「毒」になる

世の中で言われる「幸せな休日」といえば、友だちとランチに行ったり、家族で旅行に行ったりすることかもしれません。

でも、今の私の体にとって、それは「幸せ」を通り越して「疲弊」になります

  • 友達との食事: 楽しいはずなのに、帰宅後は寝込んでしまう。

  • 旅行: 景色を見る前に体力が尽き、思い出よりも「しんどさ」が勝ってしまう。

元気な人には理解しにくいかもしれませんが、身体が弱い私にとって、外の世界のキラキラした刺激は、毒になる

家の中にいながら、社会とつながり、自分の価値を証明できる場所を探しました。それが「少しのパート」と、「YouTubeへの挑戦」

私が人生の指針にしている4つの言葉があります。これらは、私の今の生き方を肯定してくれる大切な光です。

① 「落ちていくことが悪でもなく、上がっていくことが悪でもない」(成田悠輔)

かつてJALのCAとして空を飛んでいた私から見れば、今の生活は「落ちた」ように見えるかもしれません。でも、成田さんの言う通り、場所が変わっただけ。高みにいることだけが正解じゃない。今の場所でしか見えない景色を、私はYouTubeで発信しています。

② 「明日やろうはバカやろう」

病を抱える私にとって、「明日」が今日と同じように動ける保証はありません。だから、体が少しでも動く「今」この瞬間に、カメラを回し、台本を書く。後回しにしないことが、私の命の燃やし方です。

③ 「チャンスの神様は前髪しかない」

YouTubeの世界も投資の世界も、チャンスは一瞬です。「体調が良くなったら」「準備ができたら」なんて言っている間に、神様は通り過ぎてしまう。だから、必死にその前髪を掴みに行きます。

④ 「どう思われたいかで生きるのではなく、どうありたいかで生きる」

「いい母親だと思われたい」「従順な妻だと思われたい」という他人の目を捨てました。私は、「自分の足で立ち、自分の力で1円でも多く稼いで自分の力で生きる人間になりたい」。他人の評価ではなく、自分の納得感を選んだ


3. 「家族のため」を卒業し、「自分のため」に没頭

家族のために無理して作った食事は、下手だからまずい。無理に話を合わせようとしても、どこか空回りしています、実の母と2時間一緒にいるだけで疲れ果ててしまう。

以前はそんな自分を責めました。「私はダメな母親、毒親、母親失格、無能な妻、悪い妻、愚妻、そして悪い娘、親孝行できない子ども、冷たい人間」と。

でも、*誰かの犠牲になって生きる人生の最後に、「私は幸せだった」なんて言えるかなと

私が今、一番幸せを感じるのは、YouTubeで「自分はどれくらい稼げるのか?」という限界に挑んでいる時です。投資の情報を分析している時、私は病気であることも、疲れも忘れます。

たとえそれが、家族への直接的な「還元」に見えなくても、私が私として輝いていること。それが、巡り巡って家族にとっても「一人の人間として生きる背中」を見せることになるのだと信じています。幸せでない人が幸せと他人を幸せにできない

自分が幸せにならなければ、他人を幸せにすることはできない。それは偽善である」

(ウエイン・ダイアー/心理学者)

 自分が不幸な顔をして「あなたのために尽くしているのよ」と言うのは、相手に罪悪感を与えるだけで、本当の優しさではない、という少し厳しい言葉には「自分のために生きる」と決めることは、相手を「あなたのせいで私は不幸なの」という呪縛から解き放つことでもあります。

4. 死ぬ前に「最高の人生だった」と言い切るために

私は、自分の人生を誰かのせいにしたくありません。

「夫のために我慢した」「子どものために諦めた」……そんな言葉を遺して死ぬことほど、寂しいことはないと思うのです。

病気だから、体が弱いから。「それでも私はこれだけのことができた!」**ということ

理解されなくても共感されなくてもいいんです私は私のために、今日もこの命を使い切ります。


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