日本航空(JAL)の歴代制服を2代目~6代目まで紹介していきます。 – YouTube
この記事は日本航空(JAL)キャビンアテンダントの歴代制服の2代目~6代目までを紹介しています。
この記事を読むと、日本航空(JAL)のキャビンアテンダントの制服が、日本の経済成長とともに変化していった時代背景がわかります。
JALキャビンアテンダントの制服
2代目制服
時期
昭和29年2月~昭和35年8月
特徴
色は紺(ネイビーブルー)で、襟なし上着がさわやかで、左胸ポケット下部に胸章がありました。
スカートはタイトで前にスリットが入り女性らしさを強調し、帽子は天井付きで、左前部に銀の翼がついています。
2代目制服からは夏冬兼用になりました。
デザイナー
伊東 茂平
3代目制服
時期
昭和35年8月~昭和42年3月
1960年8月に、DC-8型ジェット機サンフランシスコ線就航にあわせて制服を改定しました。
1966年6月に、ザ・ビートルズが日航機で来日し、武道館で公演したことは有名です。
特徴
色は紺ロイヤルブルーで襟なし上着には、胸ポケットがなく、4個の金ボタンと胸章がありました。
ブラウスは大きなW襟で、かわいらしく、 当時の牛乳配達員が被っていたような帽子と話題になりました。
1961.12に、ターバン型の帽子に変更になりました。
デザイナー
伊東 茂平
4代目制服
時期
昭和42年3月~45年6月
1967年3月に世界一周路線を開設しました。
特徴
色はスカイブルーで、着物のように前を打ち合わせた上着には、2つのボタンがついていました。
ポケットはフラップ付きで、右胸に真珠で縁取られた鶴丸のブローチがついていて、ブラウスは丸首ですっきりとしています。
スカートは後ろにスリットがあり、帽子はお椀形で正面に鶴丸の帽章が特徴的です。
デザイナー
森 英恵
5代目制服
時期
昭和45年7月~昭和52年9月
1970年7月に、747ジャンボジェットが就航しました。
1976年7月に、DC-10が就航しました。
特徴
紺のミニスカートワンピースに幅広の赤いベルトが特徴的で、左胸外ポケットにJALの刺繍があります。
前ボタンタイプから後ろジッパータイプとなり、初めてスカーフが導入されました。
デザイナー
森 英恵
6代目制服
時期
昭和52年10月~昭和62年12月
1978年に新東京国際空港(成田)開港しました。
1985年に、767型機が、国内線に就航しました。
特徴
紺のワンピースに6個の金ボタンがついていて、バックル付の赤いベルトが特徴的です。
左胸外ポケットのフラップにJALの刺繍があり、あご紐付きのツバあり帽子で、長袖ボディシャツは3種類(赤と白の縞、紺と白の縞、紺無地)ありました。
デザイナー
森 英恵
まとめ
日本航空(JAL)キャビンアテンダントの制服の変遷は、昭和の時代の社会経済的変化と密接に連動しており、各制服のデザインは、その時期の日本のファッション、技術進歩、および国際的地位の変化を反映しています。
2代目制服は、日本の経済が徐々に立ち直り始めた昭和29年から35年にかけて登場し、この制服はシンプルかつ実用的で、紺色の上着とタイトなスカートが特徴でした。
3代目制服は、昭和35年から42年にかけての日本の急速な経済成長と共に登場し、国際線の拡大と共に新しいジェットエンジン機の導入を反映していました。
4代目制服は、昭和42年から45年にかけて登場し、この期間に日本が世界一周路線を開設し、国際的な航空業界での位置をさらに固めたことを象徴しています。
5代目制服は、昭和45年から52年にかけての期間に登場し、この時期は747ジャンボジェットの就航やDC-10の導入など、航空産業の大きな進歩を反映しています。
6代目制服は、昭和52年から62年にかけて登場し、この制服は新東京国際空港(成田)の開港や新しい航空機モデルの導入など、日本航空のさらなる拡大と進歩を象徴しています。
これらの制服は、日本の航空産業とファッションの進化を通じて、日本の昭和時代の社会経済的変化を色鮮やかに描き出しているので、それぞれの制服は、日本が国際舞台でどのように進化し、変化してきたかを視覚的に表現しています。
それらは日本のアイデンティティと国際的な地位のシンボルとなり、また、日本航空の歴史と日本の航空産業の成長を映し出す素晴らしい作品となっています。
JAL(日本航空)のキャビンアテンダント制服について、初代が1号から3号まであった理由を時代背景に基づいて紹介します。 (cabinattendant.blog)
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