安部譲二(あべ じょうじ)
本名:安部 譲二(あべ じょうじ)
生年:1937年(昭和12年)
没年:2019年(令和元年)
出身地:東京都
経歴:元暴力団員 → 日本航空(JAL)国際線客室乗務員 → 作家
暴力団員がJALのスチュワードに!
その噂を聞いたのは、先輩からでした。
「昔、JALにヤバいスチュワードがいたんだよ。めちゃくちゃ英語がペラペラで、そいつ、元ヤクザだったんだよ」
驚いたけど、その話は実話でした。
その男の名前は―― 安部譲二。
後にベストセラー作家となり、波瀾万丈の人生を自らの筆で描いたあの男。
東京・目黒で生まれた問題児
1937年(昭和12年)、東京・目黒区生まれ。
父は元政治家でありながら、家業は畳屋で、幼い頃は第二次世界大戦の真っ只中でした。
東京大空襲の夜は、防空壕で震えながら、焼け野原になる街を目の当たりにしたという。
少年時代の譲二は、戦後の混乱期に、都内の中学に通いながらも、次第に不良の道へ流れていきました。
その鋭い目つきと喧嘩の強さで、周囲からは「近寄るな」と恐れられ、高校に進学したけども、すぐに中退してしまい10代後半、とうとう「その世界」へと足を踏み入れたのです。
少年から極道へ…そして前科14犯
暴力団に身を置いた譲二は、あっという間に「仕事人」として頭角を現しだしました。
しかし、待っていたのは血と裏切りの日々だったんです。
犯罪歴
- 強盗殺人未遂(19歳)
横浜で外国人の借金取り立て。
返済を渋った相手の用心棒と揉め、拳銃を奪って車で逃走。
その場で発砲し、相手に重傷を負わせたことで「強盗殺人未遂」と「銃刀法違反」で逮捕され、一審で懲役7年の判決。控訴審で「窃盗罪」などに軽減され、懲役2年6ヶ月・保護観察付き執行猶予5年となりました。 - 銃刀法違反・麻薬取締法違反(1975年)
拳銃の不法所持と、麻薬の所持・使用で逮捕。
府中刑務所に実刑4年。
このとき、刑務所の中で出会った様々な人間模様が、後の名作『塀の中の懲りない面々』の原点となったそうです。 - 賭博・傷害・暴行・青少年保護育成条例違反など
暴行や賭博は日常茶飯事で、国内で14件の前科、さらに海外(アメリカ・香港・フィリピン)でも3件の前科があると語られています。
海外では、銃器不法所持や違法賭博、違法滞在による逮捕歴がありました。
つまり 通算で8年間、刑務所で過ごしたことになります。
伝説の「JALスチュワード時代」
そんな彼が、23歳のとき、日本航空(JAL)に入社したんです。信じられますか??
「え?ヤクザがJALに入れるの?」と思いませんか?私たちの時代には、学歴やTOEICの点数だけでなく身だしなみチェックに加え、タトゥーチェックもるのに。
当時は1960年代で、今のような厳格なコンプライアンスも、前科チェックも無かった時代で、履歴書も、調査もザルだったんです。だから個性的な人の集団でした。
譲二は、持ち前の話術と堂々とした態度、流暢な英語を武器に、採用試験を突破したそうです。当時としては非常に珍しい、男性の国際線客室乗務員(いわゆるスチュワード)として採用され、主にアメリカやヨーロッパ便のフライトに乗務していました。
私の先輩で当時を知る人から聞いた話では
「譲二さん、制服着たら本当にカッコよかったんだよ。身長も高くて、ガタイも良いし、誰よりも頼りがいがある感じだった」
「でもさ、どこか“ただ者じゃない感”が漂ってて、上司も何となく警戒してたんだよね…」とのことです。
JAL時代
- 接客のプロ意識:もともと人当たりの良さや、トークの上手さを活かし、乗客とのコミュニケーション力は抜群でした。特に外国人乗客に対しては、流暢な英語と独特のフレンドリーさで人気だったと言われています。
- 見た目とギャップ:精悍な顔立ちとガッチリした体型のため、同僚や乗客からは「頼りがいのあるお兄さん」と慕われていたそうです。実際、トラブル対応や困っている乗客への気配りはプロの中でも高評価でした。
- トラブルメーカーでもあった:ただし、負けん気の強さや短気な一面もあり、乗客との衝突や、同僚との意見の違いが表面化することもありました。さらに、過去の経歴(前科)が社内で発覚し、残念ながらJALを退社することになります。
- 義理と人情を大切にするタイプ:古き良き日本男児のような義侠心を持っており、「困っている人を放っておけない」性分でした。JAL時代も、クルーや乗客のトラブルには真っ先に駆けつけるような兄貴肌。
- カラッとした明るさとユーモア:冗談好きで、人を笑わせることも好き。後年の作家活動でも、その「明るさ」と「軽妙な語り口」が人気を集めました。
- 短気で一本気:良くも悪くも「自分の信念を貫く」タイプで、それが衝突の原因にもなったと言われています。ただし、それが彼の「誠実さ」にもつながっていました。
英語はどこで覚えたの?
暴力団時代、横浜の港で外国人相手の商売をしていたときに“必要に迫られて”学んだそうです。「学校英語」じゃなくて「喧嘩英語」「交渉英語」だったので、実践で役になるものばかりで、さらに、アメリカに密航していた時期があり、その間に実践的な英会話を磨いたのです。スラングも使いこなし、外国人の客にもフランクに話しかけ、人気クルーとなったのです。
前科は隠しきれなかった。
しばらくして過去がバレます、元関係者の密告か、社内の調査か…真相は不明ですが、JALを辞めることになり、彼は再び裏社会へ戻っていってしまったんです。
作家・安部譲二が誕生
1981年、暴力団を完全に抜け、作家としての道を歩み始め、彼のデビュー作『塀の中の懲りない面々』は、リアルすぎる刑務所生活と、どこか憎めない悪党たちの人間模様を描き、大ベストセラーになりました。「元ヤクザ」「元受刑者」という異色の肩書きで、バラエティ番組にも引っ張りだこで、阿川弘之さん、田中康夫さんら著名作家との交友も深めていました。
晩年は静かに、自由に
晩年は、千葉の房総半島に別荘を持ち、静かな暮らしをしながら、テレビ出演や講演活動をこなし、講演では「本当に面白い話をしてくれる」と評判でした。
2019年、81歳で逝去。
その人生は、「懲りない面々」そのものだった。
安部譲二
学歴は中卒で、前科14犯。
それでも世界と渡り合った英語力で、JALの制服を着て世界を飛んだ男。
裏社会から作家への波瀾万丈な生き様から、「人生は、何度でもやり直せる」ということと、殻を破らなければ、鳥は飛べないので、自由になりたいなら、小さな行動で、自分の未来を変えようっていうことが学べます。
参考資料
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