現代の航空機は、最新のデジタル技術と自動化によって飛躍的な安全性を手に入れました。しかし2024年1月2日のJAL516便の事故や、2025年4月7日に発生したJAL377便の接触事故は、私たちに重要な問いを突きつけています。
「機械に頼りすぎると、人間は何を失うのか?」
テクノロジーは人間の限界を補うために存在します。
けれども、そのテクノロジーが「人の感覚」や「判断力」を鈍らせてしまうことがあるなら──。本記事では、人と機械の共存という視点から最近の航空事故を読み解きます。
JAL516便事故(2024年1月2日 羽田空港)
テクノロジーの恩恵と落とし穴
JAL516便が使用していたA350型機は、最新のグラスコックピットを備えた航空機。
巨大なディスプレイとHUD(ヘッドアップディスプレイ)は、パイロットの視界に重要な情報を重ねて表示し、夜間でも高い安全性を実現しています。
ところが、その技術は一方で「視線誘導の固定化」「情報への依存」という副作用をもたらすことがあります。
滑走路上にいた海保機(MA722便)は、夜間・遠距離・機体サイズの条件が重なり、グラスコックピットに集中するパイロットの視界には入りにくい状況だったと推測されます。
テクノロジーが「見るべきものを見落とさせる」ことがある。
これが人と機械の共存における重要なリスクです。
管制官とパイロット、人と人の連携エラー
この事故のもう一つの重要な要素は「ヒューマンエラー」チーズの穴理論です。
管制官は滑走路手前での停止指示を徹底せず、海保機は滑走路へ誤進入。
人間の判断ミスと、機械の情報への依存。
これが事故を引き起こしました。
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パイロットや管制官は、情報を「システム画面」や「ディスプレイ」「管制の指示データ」に頼る割合が増えている。
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一方で「目視確認」や「音声コミュニケーション」「状況認識のすり合わせ」といったアナログな行為が軽視されやすくなる。
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その結果、「言われていない=大丈夫」「表示されていない=問題なし」と誤解しやすくなる。
チーズの穴理論(スイスチーズモデル)との関係
チーズの穴理論では、一つ一つの防護策(チェックリスト、目視、無線確認、機器表示)が穴(ミス)を持っていて、複数の防護策が機能しないと事故につながる、と考えます。
→ この事故ではこうなっていました:
レイヤー(防護策) | 穴(問題) |
---|---|
テクノロジー(モニター、指示表示) | 海保機の存在がパイロット側に明示されない(暗黙的依存) |
無線による指示 | 不十分なクリアランス確認 |
パイロットの目視確認 | 見えにくい状況+夜間+HUDへの集中 |
管制官の状況把握 | 海保機の滑走路侵入を完全に防げなかった |
現代の航空運用では、人と人の連携ミス(ヒューマンエラー)は依然として大きなリスクですが、その背景には「機械が情報をカバーしてくれるはず」という構造的な依存があります。
ディスプレイに表示されていないものは見落としやすい。
指示がなければ問題なしと考えやすい。
こうした「無意識の機械依存」が、JAL516便事故でも、管制官・パイロット双方に影響を与えていた可能性があります。
JAL377便接触事故(2025年4月7日 羽田空港)
こちらの事故は、誘導路走行中にエッジライトへ機体が接触した事案です。
パイロットは最新機器で誘導路情報を取得しながらも、目視確認が不十分だった可能性が高いとされています。
「機械は道を示すが、最後に道を確認するのは人間の目である」
これは人と機械の共存が目指すべき基本的なルールです。
最近発生した主な航空接触事故
日付 | 便名 | 内容 | 共通する問題 |
---|---|---|---|
2024/1/2 | JAL516便 | 海保機と滑走路上で衝突 | 視認不足・管制ミス・情報依存 |
2025/4/7 | JAL377便 | 誘導路エッジライトに接触 | 目視確認不足・ディスプレイ依存 |
人と機械が共存する未来へ
最新の航空機は、かつてない安全性を実現しています。
でも、その安全性は「機械が完璧だから」ではなく、「人と機械が役割を分担して補完し合うことで」成り立っています。
機械ができること
- 見落としを減らす
- 状況を客観的に示す
- 人間の限界を補助する
人間がしなければならないこと
- 外界を五感で確認する
- 疑問を持つ
- 機械の情報を鵜呑みにしない
- チームで状況を共有する
まとめ
航空安全は「テクノロジー進化による問題解決」だけでは不十分です。
むしろ、テクノロジーが進化したからこそ、「人間の基本的な能力(見る・考える・確認する)」が再び重要視される時代に入っています。
これは航空だけの問題ではなく、自動運転やAI技術の発展が進むすべての分野に共通する課題です。
私たちは、便利さの裏側にある「人と機械の役割分担」をもう一度見直す必要があるのではないでしょうか。
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