こんな奴隷みたいな仕事をずっとしてる人生って意味あるんでしょうかねって、こういうことを ガチで相談したことあるんですよ 長めの音楽と画像① 今から私の実体験を話すんですけど、私、JALで30年間キャビンアテンダントをやっていて 今はデパ地下でサラダを売っているんで人生34年もサービス業をやってきちゃってるんでちょうど JALに入って18年目の時の話なんですけど 悪い意味で 心がすさんでいたんですね。
JAL倒産
その年はちょうどJALが倒産して、お客様からは株が紙切れになったから責任とれって怒鳴られたり、国の税金つかっているんだから、もっと一生懸命働けみたいに言われて、精神的にはズタボロで、フライトのスケジュールはきつくなって、体も限界だったのかもしれないんですよね で ある先輩に こういうことを相談したんですね 毎日毎日 何百人ものお客様に対して頭をペコペコ下げて 謝罪して、そして感謝して、おでこがすりへるくらい 犬のように頭を下げて 必死に働いて 家に帰ってからも 休日もずっと 次のフライトのことばっかりを考えて こんな脇役の どぶ板の人をサポートする人生って、こんな人生って悲しくないですかって こういうことを言ったんですね
先輩の一言
そしたら その先輩が あなたの言ってることは分かるよって けどそれが 人生なんじゃないのっていう風に言われたんですね 当時 私は、そんな これが人生ね みたいなことを言われて なんやそれは? どうどういう意味や?っていう風に わけがわからなかったんですけど けど 今、無職になって無名のYouTuberになって まあその当時先輩が言った「それが人生なんじゃないの」という この言葉を 自分なりに解釈することができまして どういう解釈かというと 当時 私自分の事を どぶ板の脇役だと思ってたんですよ
けどそれが間違いで 実は私が 主役だったんですね これどういうことかというと まあそもそも 会社で仕事をしているのは自分ですし これからの人生を歩んでいくのも自分なんです おいしいかおいしくないかも 楽しいのか楽しくないのか、気持ちイイのか気持ち悪いのかも 決めるのは自分なんですね つまり自分が主役で もっというと 主役からのがれることはできないということに気づいたんですね
自分が主役
そうなってくると 主役以外にはなれないし どうせなら面白い主役になった方がいいな というふうに思ったんですね それで私が思う面白い主役とは何なのかっていう風に考えたんですけど そこで私の答えが出てきまして それがドラマチックかどうかっていう こういうふうに思ってまして じゃあドラマチックになるためには どうならないといけないのか っていう風に考えて
これは精神をすり減らしながら 歯を食いしばっていく生き方が 結果的にドラマチックになるんじゃないかなと でこれどういうことかというと ちょっと皆さんここで考えてほしいんですけど 例えばお金持ちの社長令嬢が 自分のばえる生き方をInstagramに載せている物語(ブランド物のバッグとか高級時計とかナイトプール)と、何をやっても ぱっとしない底辺にいた元CAが 必死にYouTubeの動画を命がけで投稿する物語ってあった時に これどっちのドラマが面白くなりうるかっていう話で これ私の感覚だと 後者ですね
要は 人が命がけで頑張る姿って面白いって思うし、笑えると思うんです。若い人にとっては、キラキラしたインスタがいいのかも知れんけど、生きる辛さとか悲しさとかを味わってきた50代60代70代の人にとっては、私には7週目の観覧車くらいおもんないぞって話で、精神すり減らして必死に考え散らかしてて 必死に行きてる動画はドラマチックになりやすいと思うんです で話戻って 主役かどうかを 地位だとか 肩書きや 職種で 判断しちゃってるピミッド大好き人間が 宇宙でも大量に繁殖しているって火星人に聞いたんで でそれってインディペンセンスデイ見すぎやっていう話で もっというと 自分は脇役だっていう風にレッテルを貼って ふてくされてるピラミッド大好き人間ほど 自分が主役であることに 気付けてないんですね
気づくことの大切さ
自分が主役であるっていうそこに気づけるかどうかという ここはすごい大きいことなんじゃないかなと思うんです。
で みなさん この公園でかくれんぼしませんか
どうせ可愛さオーラ爆発のワタシがすぐみつかっちゃうんですけど(笑)
じゃあ自分が主役だと分かれば次どうなるかというと 自分の人生が自分ごとになるんですね 逆に自分の人生が他人ごと つまり自分が主役だと気づいていない人って いろんなところでひずみが生じるんですね 例えば日常生活していて いろんなことに気づきがなくなるっていうか 簡単に言うと感度が低くなるっていう状態になるんですね
炊きたてのお米は熱い
炊きたてのお米でおにぎり握るおばあちゃんの手ってみたいに いや、おばあちゃんってその手って熱くない? そんなイメージですね で 加えてですね 幼いヤンキーがよく使う どっちでもいい 知らねーよ こういう言葉を連呼すると 自分の人生が他人ごとの人にとってバイタリティーが失われていくんです で さらにさらにさらに言うと 自分を脇役にしている分 登場人物がめちゃくちゃ多くなってしまってですね 要は簡単にいうと 人生がより複雑になってしまっているという話で そんなことやってると とんがりコーンを指に はめているようになるくらい大変だぞって話になるんで 自分の人生を自分ごととして考えてみると 意思決定が自分ひとりになるのでシンプルになるんです 例えば ふてくされている暇だとか 落ち込み続けている暇がないのに気付くっていう 要はそんなことよりも 自分の人生を自分で何とかしないといけないっって ここがあるんでですね 加えて これ私 漠然と思っていることなんですけど この自分事を続けていくと これ実は自分でやれちゃうことってけっこう多いことに気付いてきたんです
これは例えば知識だとか経験だとかスキルだとかまあそういったことに加えて それ以前に 自分が主役であることを気づけているかどうか ここが一番重要じゃないか ッて思うんです。そういえば破綻したJALを再建してくれた稲盛和夫さんが「土俵の真ん中で相撲をとれ」とか 「自らが燃えて 自分が渦の中心になれ」ってよく言ってくれていました。 そんでもって「見えてくるまで考え抜いて 自分が人生の主役であれ」って言ってたんで、これからも果敢に挑戦して死ぬまで諦めない生き方をしようと思っています。
最後にみなさんに 主役の歩き方だけ 教えておきます
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