1994年、国内線で麻原彰晃元死刑囚が、信者5人に支えられて飛行機に乗ってきました
ヘッドギアをかぶり、白装束の彼らは、衝撃的な雰囲気で、離陸を待っている他の旅客が驚いて見上げる中、ゆっくりと通路を歩き、座席へ座りました
ボーディング

1994年の春の出来事です
フライト前の事前情報で、当該便に麻原彰晃元死刑囚が乗ってくることは情報共有されていました
しかし本当に目の前で見た彼らは、衝撃的だったのです

信者に両腕を支えられて、麻原彰晃元死刑囚が、座席へ座るのを援助されている姿を見て、初めて麻原彰晃元死刑囚が視覚障がい者であることを私は知りました
左目は全盲、右目は0.06~0.1と言われています
白装束の信者に支えられて機内の狭い通路を一歩ずつ、ゆっくり歩き、ファーストクラスの座席へドスンと座りました
麻原彰晃元死刑囚が座った後、他の信者はエコノミークラスへ移動し、全員が着席後、飛行機は離陸しました
航行中
出典:https://www.religio.jp/aum-incident/
離陸後、ファーストクラスの麻原彰晃元死刑囚の席へ後ろから来た信者が集まりました
クルタと呼ばれる白装束は、とても目立っていました
ヘッドギアには小さな電球がたくさんついていていましたが「脳波通信」が本当に行われていたのかは、わかりません

脳波で映像を発信するということを聞いたことがあります
麻原彰晃元死刑囚の身体はかなり大きくて、動きにくそうでした
航行中は、機内のオリジナルのど飴を頻繁にリクエストし、舐めていました
ヒゲがとても長く、胸あたりまで伸びていてヒゲと髪の毛が一体化していました
信者に囲まれて近づきにくい中、多めに同じ飴を持っていくと無言で受け取りました
出典:https://www.religio.jp/aum-incident/
着陸後
出典:https://www.religio.jp/aum-incident/
前方を歩く信者の肩に手を置いて歩いていたので、本当に目が見えないんだな、と感じ何か手伝おうとしましたが、他の信者に追い払われました

私たちCAは、近付くことさえ許されない雰囲気を感じ、さっと身を引きました
その後、地下鉄サリン事件が起こるまで、上九一色村やその他さまざまな場所で起こった事件を私は、よくわかっていませんでした
麻原彰晃元死刑囚を目の前で見たことは、長い乗務生活で衝撃を受けた出来事のひとつです
参考文献:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83

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