暑い夏の日、羽田発広島行
ボーディングが慌ただしく始まりドアサイドは人で溢れかえり通路は流れが止まってしまいました
目の前にいる若い軍服のアメリカ人と目が合い

Where are you from?
「アメリカのジョージア州」と笑顔
なんでアメリカの軍人が1人で広島に行くんだろう...と思いつつ、ドアが閉まり安全確認して離陸
ドリンクサービス中

Would you like something drink?
と伺うと笑顔で「Just water 」
彼の首には、アメリカ兵の認証ナンバーが記されたドッグタグが2つかかっていました
自分に沸き起こる、理由を知りたい気持ちを不謹慎に感じ

What brings you to Hiroshima?
彼は丁寧に「広島で11名のアメリカ兵が原爆で死んだから」と答えました
驚く私に

呉を爆撃していたB24を日本軍が撃墜し、パラシュートで脱出したアメリカ兵を広島の収容所で捕虜にしていた時に原爆が投下された
2つのドッグタグが、原爆で亡くなったアメリカ兵のものかもしれない!と察し、自分が戦争や原爆に無知であることを伝えました
彼の生まれた町、ジョージア州アンダーソンビルには、広島で被爆死したアメリカ兵の慰霊碑があり、戦後40年経ってレーガン大統領が
・広島への原爆投下で自国の兵士が死んだこと
・広島にアメリカ兵が捕虜で収容されている事実を国家は知らなかったこと
を認め建てられたとのこと
私の頭の中は
・どうして味方の原爆によって殺されなきゃいけなかったのか?
・アメリカは捕虜された11名のことを何故知らなかったのか?
・どんな死に方だったのか?
知りたいことがあふれてきましたが国内線の飛行時間は短すぎました
すぐにベルトサインが点灯しシートベルト着用のアナウンスをしなけれいけません
広島の平和祈念資料館には原爆で無残に奪われた14万人の記録が写真や絵として保存されています
その中にアメリカ兵を記した17枚の絵があり
広島で捕虜になったアメリカ兵が日本人によって残酷な虐待を受けている事実がわかります
・裸で鉄柱に縛り棒で叩いて撲殺
・足を釘で打ち付け、こめかみを撃ち抜き銃殺
・後ろ手に縄で縛り横たえ撲殺
・橋の欄干に縛り、木の棒で殴り流血死
彼の顔は穏やかでした
日本人への怒りや戦争への疑問の言葉はなく「彼らを忘れないことが大事だから」
原爆で亡くなったアメリカ兵は、10代後半から20代前半の若者
祖国には家族や恋人が待っていたはずです
戦後76年、語り継ぐ人が減ってきた時こそ、風化させたくないです
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